さあ、呼吸を始めよう。
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「自分で、きれいだと思うものは、なんでもぼくのものさ。その気になれば、世界じゅうでもね」
(トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の彗星』)
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面白いものを見つけたので。
ルールは↓
【その昔、「I LOVE YOU」を夏目漱石が『月がキレイですね』と訳し、
二葉亭四迷は『わたし、死んでもいいわ』と訳したと言います。
さて、あなたなら「I LOVE YOU」をなんと訳しますか?
もちろん、「好き」や「愛してる」など直接的な表現を使わずにお願いします。】
答え↓
『観覧車に、乗りませう』
これくらい、あっさりしてるのがいいのではないか、と思うのです。
密室だし。
廻るし。
景色がいいし。
というか、面と向かって云うにはこれくらいが限界かもしれない(笑)
ルールは↓
【その昔、「I LOVE YOU」を夏目漱石が『月がキレイですね』と訳し、
二葉亭四迷は『わたし、死んでもいいわ』と訳したと言います。
さて、あなたなら「I LOVE YOU」をなんと訳しますか?
もちろん、「好き」や「愛してる」など直接的な表現を使わずにお願いします。】
答え↓
『観覧車に、乗りませう』
これくらい、あっさりしてるのがいいのではないか、と思うのです。
密室だし。
廻るし。
景色がいいし。
というか、面と向かって云うにはこれくらいが限界かもしれない(笑)
詩とは韻文である。
音韻である。
脚韻である。
というようなことを読んで少し感心した。
ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ 紀友則
音韻である。
脚韻である。
というようなことを読んで少し感心した。
ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ 紀友則
ぼくの言葉は誰かに届いているのだろうかと、ふと思った。ぼくはmixiもやっているのだけど、あっちにこんなことを書いたらマイミクの人たちがひいてしまうと思うので、こっちにいろいろ書いてみようと思います。
まず大前提として、誰の言葉もそこに書かれたように100パーセント届くということはあり得ない。ということはぼくの言葉もそうだということになる。それはそうだろう。
問題はそこじゃあないのだ。つまり、ぼくの頭の中に書きたいことが湧きあがり、なんとか文字に起こす。それをあなたが目で見て読んで脳へ届く。そのプロセスを経る途中でいったいどれだけのものがこぼれ落ちているのだろうか。そんなことを真夜中、ふとしたときに考えてしまう。
例えばそのプロセスをキャッチボールで考えてみる。ぼくはメッセージという名のボールをあなたに受けとってもらいたいと思う。思うと、ぼくは振りかぶり足を上げ指先まで注意して、投げる。
まず大前提として、誰の言葉もそこに書かれたように100パーセント届くということはあり得ない。ということはぼくの言葉もそうだということになる。それはそうだろう。
問題はそこじゃあないのだ。つまり、ぼくの頭の中に書きたいことが湧きあがり、なんとか文字に起こす。それをあなたが目で見て読んで脳へ届く。そのプロセスを経る途中でいったいどれだけのものがこぼれ落ちているのだろうか。そんなことを真夜中、ふとしたときに考えてしまう。
例えばそのプロセスをキャッチボールで考えてみる。ぼくはメッセージという名のボールをあなたに受けとってもらいたいと思う。思うと、ぼくは振りかぶり足を上げ指先まで注意して、投げる。
「私は決して猫が好きなのではありません今まで好きになった相手がたまたま猫だっただけそれをたとえ何回繰り返したところで猫が好き、と友達を種類で纏められるおぼえはない」
(笙野頼子『愛別外猫雑記』)