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さあ、呼吸を始めよう。
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 死んでしまった小説家の残した、未完の小説をぼくらはどう読めばいいのだろう。藤原伊織の「遊戯」を読んでそう思った。この物語は作者急逝のため未完です。

未完。未完成。未だ完成せず。本当にそうだろうか。いや、そうじゃない。まだ、ではない。もう、なのだ。もう完成しない。作者のいないそれは、もう完成することはないのである。決して。

そんな小説との初めての出会いは、太宰治の「グッド・バイ」だったように思う。タイトルがあまりに出来すぎのような気がして、そしてその明るさとのギャップに違和感を覚え、これが遺作であるとは到底思えなかった。まだ「人間失格」がそうだといわれる方が信じられた。

そして、二度目の未完小説との出会いが、藤原伊織の「遊戯」であった。太宰と藤原伊織との違いは、藤原伊織は同時代の作家だと思っていたことにある。太宰治はほとんど歴史上の人物であった。それに比べ、藤原伊織は直木賞作家であり、これからも新作を書き続け、ぼくを愉しませてくれるはずの作家だった。それのはずがいなくなってしまったのだからショックは大きい。嘘だ、と思った。思わざるを得なかった。けれど、書きかけの物語の真白が、ぼくに虚無や絶望と云ったものを感じさせた。そして、その向こうに見えるのは、やはり“死”だった。

ミステリは終わらないといけない。しかもただで終わってしまったらいけない。ぼくらは答えを欲する。読者の予想は裏切り、そして期待は裏切ってはならない。そんなアクロバティックなことに作者は腐心する。

この日記の着地点が見えてこない。

決して終わらないに終わりを告げることの出来る人はいるのだろうか。そんな人はきっといないだろう。読者にだって出来やしない。ぼくらに出来ることはきっと新しい物語を紡ぐこと。あなたが藤原伊織を好きならば、藤原伊織のその精神を繋げていかなくてはならない。それは、上手く結末を纏めることじゃあない。新たな物語を生み出し紡ぐのだ。

終わる物語なんて、どこにもない。いつか、ぼくも、死ぬ。けれど、物語は死なない。人から人へ、リレーのように。

ゴールはまだ見えない。
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